スイミーコミュニティは「風の時代のコミュニティ」だとしていますが、「風の時代ってナニ?」という方もいらっしゃると思うので風の時代について少しご紹介します。
風の時代とは
風の時代というのは、西洋占星術の世界の言葉で、2020年12月22日、つまり冬至の日に、20年に一度起こる地球から見ると木星と土星が重なって見えるというタイミングなのです。
このタイミング自体が20年に一度と珍しいので、「グレートコンジャンクション」と呼びます。
古代の人は、夜空の観察していて、星々の中には動かない星(恒星)と動く天体(水星、金星、火星、木星、土星、太陽、月)があることに気づき、動く天体には大きな意味があると考えました。
その中でも太陽は格別に輝いていますし暖かいので、どの文明でも特別に神格化されたのは無理のないことだと思います。
実際には太陽の周りを地球が周っているわけですが、地球から見ると太陽が動いているように見えるわけで、その太陽の通り道を黄道と呼び、約2000年前に、この黄道をほぼ12等分することで12星座(乙女座、獅子座、かに座、双子座、牡牛座、牡羊座、魚座、水瓶座、山羊座、射手座、蠍座、天秤座)を作りあげました。
1年のあいだの特定の時期には、太陽は特定の星座に位置しているように見えるわけです。
これと同じ要領で、20年に一度に起きる「グレートコンジャンクション」は、特定の星座の位置で起きるわけですが、それが220年ぶりに風のエレメントである水瓶座の位置で起こったのです。
風のエレメント?
実は、12星座には、大きく4つのエレメント(火、地、風、水)に分類されています。
- 火のエレメント:牡羊座、獅子座、射手座
- 地のエレメント:牡牛座・乙女座、山羊座
- 風のエレメント:双子座・天秤座、水瓶座
- 水のエレメント:蟹座、蠍座、魚座
各エレメントにはそれぞれの特徴がありますので、簡単に解説します。
■火のエレメント
熱く燃える炎のような情熱や、目標へ向かっていく向上心を司るので「直感と行動」のイメージです。本能的な直感力と高い行動力を併せ持ち「ピンときたら即行動」という言葉がぴったり。
■地のエレメント
4エレメントの中で、唯一固形であることからもっとも現実的なエレメントで「物質と安定」を意味します。収入や財産、肉体など手で触れて確認できるものや、ステータスや権力、格式のあるもののイメージです。
■風のエレメント
物事をきちんと言語化することや、論理的に考えることを好むような知的なエレメントで流行や変化、チャンスなど風のように流動する「知性と情報」を意味します。
■水のエレメント
人の心や無意識の世界、情感、スピリチュアルなど、目に見えない分野を司り、「感情と精神」を意味します。液体のように異なるものを混ぜあわせたり、融合させたりするエネルギーが特徴です。
これまでの220年間は、「グレートコンジャンクション」が地のエレメントである牡牛座・乙女座・山羊座で起きていたのですが、220年ぶりに風の時代のエレメントである水瓶座で起きたのです。
2040年は天秤座の位置で「グレートコンジャンクション」が起きる予定です。
ということで、2021年から「風の時代」が始まると大きな話題になっているわけです。
え?星占い?と思うかもしれませんが、これがなんとなく腑に落ちるところが多いのです。
ちなみに、2020年12月を境にバッサリ変わるわけではなく、当然ながらじわりじわりと変化していくのです。
というのも、1981年にも天秤座で「グレートコンジャンクション」が起きていますし、2159年には水のエレメントである蠍座で「グレートコンジャンクション」が起きるのです。
いずれにしても、大きく変化することは間違いなさそうですし、水→火→地→風という4つのエレメントの中で唯一の物的な状態がある土から、物的な状態がない風なので、変化というよりは、真逆の転換なのかもしれません。
本当に風の時代が来ているのか?
本当に風の時代が来ているのか?
それはわかりません・・・。
しかし、色々と考えてみると、確かにこの10年20年で大きく変化しているとも思えるのです。
また、これらは価値観の変化なので善悪の問題ではありません。
個人的に好きか嫌いか、個人的に合うか合わないかの問題なのです。
スイミーコミュニティとしてまとめた、地の時代と風の時代の価値観がこんな風に変わるのではないか?について考えてみます。
地の時代から風の時代への価値観の変化
所有・独占から利用・共有
「いつかは一軒家!」「いつかは持ち家!」「自家用車が欲しい!」なんていう言葉は遠い昔の概念に変わるかもしれません。
これまでは持ち家を所有することに大きな価値がありました。しかし、昔から一生賃貸で暮らすのが得なのか、持ち家を購入した方が得なのかという議論があります。
これは住環境を居住費用として考えて、資産を持つことの方が得だと思う人がいるという要するに損得の話です。
一方で、一生賃貸で暮らしたい人は、固定資産に囚われずにいつでも好きな場所に住めるという自由さが好きなのであり、その自由さが資産を保有することより良いと思うという価値観なのです。
つまり、「所有が安全で良い」という価値観から「自由が楽しくて良い」という価値観に変わっているだけの話です。
車で見ても、自動車保有台数も2000年ぐらいをピークに減少傾向で、その代わりにカーシェアやレンタカーの利用率は増えています。
多くの方がご存知の、UberやAirBnBなども自家用車のシェアであったり、自分の部屋のシェアだったりしますので、風の時代を象徴するサービスですね。
個人も法人も「何かを所有する」ことより「使いたい時に使う」方が身軽で気楽で良いのかもしれません。まさしく地の時代から風の時代の象徴的な傾向だと言えそうです。
クローズからオープン
自分が保有している知識やノウハウは秘密にして(クローズにして)、秘密を知りたければ対価を払えというのが地の時代のやり方だったように思えます。風の時代では、自分が保有している知識やノウハウを公開して(オープンにして)、知識やノウハウそのものよりも、それらを使った知恵や、複数の知識やノウハウが相互に触発されて全く新しい価値観を創り出すやり方に移行し始めていると思います。対価は知識やノウハウそのもにに支払われるのではなく、新たに創り出される価値に支払われるのが風の時代のように思えます
支配と依存から自立と自律
地の時代では、個人も誰かや何かに依存している方が楽だったり組織や団体という境界の中で縦社会にいることが安心安全で、収入面でも精神面でも安定していました。それが「一般的」で「普通」だったと思います。
しかし、風の時代は、組織や団体の境目が曖昧になり、縦社会から横のつながりになり、収入面の充実も重要ですが精神面の充実も大切になってきますので、自ずと支配と依存から自立と自律に移り変わります。
正式に社員をしながらも副業をする方がもっと多くなるでしょうし、会社をやめて起業したり個人事業主として活躍する人も増えるのだと思います。
それが、またより大きく深い横のつながりを作り出し、協業が進み、独占から共有へと進むのです。
組織から個人
組織的な行動は、個人による個別の行動より大きな成果を生み出しますし、高い効率で仕事ができます。地の時代においては会社組織や団体の中で、均一的な教育がなされた労働者が、会社というシステムの中で働くことで効率よく価値(物品やサービス)を生み出して社会に提供してきました。
社会のニーズも多様ではなかったので、大きな会社システムが作り出す少品種大量生産の価値提供がフィットしていました。
風の時代における個人の振る舞いは、会社組織や団体に依存せずに、プロフェッショナルな個人として会社組織や団体に価値を提供して対価を得ることが多くなるはずです。就職したら安泰な世界ではなくプロ野球選手のように毎年毎年が勝負になります。会社も優秀な人には長く居て欲しいと思うのは当然で、金銭的報酬や意味的報酬で居続けてもらう努力をすることになります。
社会のニーズも多様になり、大きな会社システムの一員ではなく、プロフェッショナルな個々人が作り出す多品種少量生産がフィットする時代になります。
つまり、多様なニーズに効率よく応えるには、大きなシステムを持つ大企業よりも、小さなシステムを持つ中小企業の方が多品種少量生産を得意としているので社会ニーズにフィットしています。
特に、サービス提供のようなビジネス形態であれば、少品種少量生産が得意な個人事業主の方が社会ニーズにフィットするのかもしれません。
風の時代では会社組織が不要だというわけではく、会社というシステムを抜本的に組み替える必要がある時代になってきているということですし、プロフェッショナルな個人や小さな会社の方が社会の多様なニーズに応えやすいのかもしれないということです。
思考から直感
これまでの知識労働者には「考える」ことが要求されてきました。論理的に考えろ、未来を考えろ、多面的な視点で考えろと言われてきましたので、論理的に考え、未来を予測したシミュレーションができ、多面的な視点で議論することも可能になりましたが、結果的には、同じような課題には同じような正解しかだせないという状況が生まれてしまいました。
ビジネススクールやセミナーで得た知識やノウハウは原理原則的な事柄が多いので、これらを利用すれば自ずと同じ課題には同じ正解が導き出されます。
つまり、自分が保有している知識やノウハウを総動員して思考をいくら巡らせても他者と差別化できるような正解を導くことはできないのです。
地の時代では目に見える知識やノウハウやフレームワークが威力を発揮していましたし重要視されてきましたが、風の時代は、目に見えない直感が威力を発揮していきますし重要視されます。
直感とは、直接的に自分の感性に気付いたり、直接的に自分の感情に気付いたりすることなのですが、そこが鍛えらると常に創造的な意思決定ができるような直感を手に入れることができます。
肩書きから仲間
地の時代は目に見えるものに価値がありましたので、学歴や資格や免許などに価値があるとみなされてそのようなものを手に入れるように努力してきました。これらはこれからも必要なことですが、これからは学歴や資格や免許のような目に見える価値よりも、精神性や人間性のような目に見えないものの価値がもっと高くなります。
これまでも、酷い人間性を持った医者や弁護士や税理士が良かったわけでありませんし、これからも人間性精神性だけあれば学歴や資格や免許が全く不要かと言えばそうではありません。スキルややり方と同様にこれらも必要なのですが、これらだけで人の価値、人生の価値が決まるわけではないということです。
高学歴な大学に行けば人生ハッピーというわけではありませんし、医師免許を手に入れればお金持ちになれるわけではありません。しかし、高い精神性や人間性があるともしかしたら学歴や資格や免許がなくても豊かな人生を送れるのかもしれません。
ボーダーフルからボーダーレス
公私混同のセクションでも出ますが、仕事とプライベートを明確に分けるというのが地の時代の概念でした。
世の中には色々な境界があります。国、地域、都道府県、市町村、会社、組織、家族などグルーピングされているものは、属するものと属さないものを分ける境界があるわけですが、それらの境界が曖昧になり、同じようなグループに同時に参加することは普通です。
例えば、個人事業主として複数の組織やプロジェクトに参画することや、会社として副業を認めて個人がより複数の収入を得ることを支援したり、複数の社会貢献ができるように支援したりすることができます。地の時代では村社会というかある程度の境界内グループで物事を決めたり運営したりしましたが、風の時代では、境界が緩やかになってもっと自由に境界の内外を行き来することができるようになります。
単一から多様
ダイバーシティという言葉を聞いたことがあると思いますが、意味としては「多様な個性、背景を持つ人材を積極的に採用し、組織にさまざまな人材が存在している」という状態や施策のことですそれに対して、インクルージョンは「互いに個性を認め、受け入れ合い、一体となって働く」ということです。大きな差はないように思えますが、ダイバーシティは「多様な人材を受け入れる」という意味合いで、インクルージョンは「多様な人材を受け入れたあと、その人々の個性を活かす」という意味合いです。
よくある話としては、ある企業がダイバーシティ政策として、女性管理職を増やしたり、外国籍の社員を採用するということだったりします。要するに、性別のグループを分けて多様だとしたり、国籍のグループを分けて多様だというわけですが、これはあまりに大きな括りであり、血液型グループ、出身大学グループ、星座グループと分けることと大差無いように思います。
つまりは、個人は個人として多様なので、わざわざ性別、国籍、出身大学などでグルーピングしなくても十分に一人一人の個性は違うので多様だということです。
しかし、地の時代は、職場や職種や業種業態によって性別・国籍・年齢の偏りがあったのが事実で、それが「普通」だと捉えていましたが、男性の客室乗務員、女性のトラック運転手、外国人政治家、若い政治家、高齢な学生がいても何らおかしく無い世界が風の時代だと言えます。
単一な概念をやめて多様性を受け入れようということです。
善悪から役割
ナイフでスープをすくえないからといって「ナイフが悪い」とは考えません。スプーンで肉を切れないからといって「スプーンが悪い」とは考えません。
それはナイフにもスプーンにも役割があるからです。
ナイフやスプーンにも役割があるように人にも得て不得手という役割があります。管理が苦手な人に管理をやらせて「あなたが悪い」と決め、経理が苦手な人に経理部門に異動させて「あなたが悪い」と決めるというのではその人の能力が最大限に発揮できません。
管理は管理が得意な人に、経理は経理が得意な人に割り当てるのが最適なはずです。
また、何かの出来事に対して善悪の判断をすることがとても多かったと思います。
これはとても難しくて神経を使う事柄なのですが、善悪の判断というのは誰かが決めること、あるいは大衆が決めること、あるいは歴史が決めること、あるいは常識や既成概念などが決めることですが、多くの場合、時と場合によって異なったり、時代が違えば異なったりして相対的なものです。
「友人を助けること」「食物を万引きしてしまったこと」の背景や文脈によって善悪は大きく異なるので、一概に決めつけるのは気をつける必要があるのです。
また、役割というのは良いも悪いもありません。そういう役割なんだねということに過ぎないのです。その役割自体に善悪の判断をつけてしまえば役割にも善悪が発生してしまいますが、基本的にはあまり善悪はないはずです。
つまり、地の時代は、人や物事に対して善悪の判断をする世界観でしたが、風の時代は人には役割があったり、物事にはそれなりの意味があったりということなのかもしれません。
損得から楽しさ
「それって何が得なの?」「それって儲かるの?」が典型的な地の時代の概念です。
損得勘定とは、地の時代に大切にされ価値あるものとされてきたお金を得られるか失うのかという判断基準だったり、お金じゃないにしても時間や行動について、それが自分にとって得なのか損なのかという判断においてやるのかやらないのかという行動を取っていたと言ってもよいかもしれません。
風の時代では、損得感情ではなく、「それって楽しいの?」「それってワクワクするの?」が典型的な概念です。お金を払う時も何かに時間を費やす時も何かをする時も、損か得かではなく、楽しいのか楽しくないのか?が大きなポイントになります。
楽しい仲間と楽しい場所で楽しい時間を過ごすことが風の時代の価値観なのです。
公私区別から公私混同
「公私混同するな!」というのは典型的な地の時代の概念からくる発言です。仕事にプライベートを持ち込むな、プライベートな時間に仕事を持ち込むなということです。
しかし、風の時代では、積極的に仕事にプライベートを持ち込み、プライベートな時間に仕事を持ち込むのです。地の時代は境界が明確にあることが便利だったり都合が良かったり心地良かったりしたのですが、風の時代は境界がどんどん曖昧になり、境界が曖昧なことが逆に便利だったり都合が良かったり心地良かったりすることになるのかもしれません。
弱みの改善から強みの伸長
人にはそれぞれ行動特性があり能力にも差があるので得手不得手があります。
地の時代において、できることよりもできないこと、得意なことよりも不得意なことに焦点が当たっていたように思います。
「自分はこれができないので改善しなきゃ、直さなきゃ」って思い、「自分はこれば不得意だから改善しなきゃ、もっと努力しなきゃ」って自己肯定せずに行動してきました。
でも、全ての知識や能力を手に入れていて全ての能力がある完全無欠な人がいないのと同じで、誰しもが、何かしらの知識や能力があり、何かの能力については相対的に秀でているものです。
風の時代は、できないことよりもできること、不得意なことよりも得意なことに焦点が当てる時代です。「自分はこれができるからもっと頑張って一番になろ!」って思い「自分はこれが得意だからもっと完璧になれるように努力しよ」って自己肯定して行動することが普通になります。
あるいは、そう考えて行動する人が豊かな人生を送ることができるようになります。
スキルからウィル
風の時代の象徴であるインターネットや情報流通は、スキルや知識やノウハウのコモディティ化(相対的無価値化)を促進しています。つまりこれまでは有料でしか手に入らないような内容のものが無料でも手に入ることが可能になったのです。今やわからないことがあれば、インターネットで検索すれば殆どのことがわかります。
地の時代は、目に見えるものに価値があるという概念でしたので、スキルやノウハウや知識や資格に価値があったのかもしれません。
しかし、風の時代においてはこのようなものの価値は相対的に下がっていくのだと思います。相対的に高くなるものは、ウィルと言われているような意思や意図です。もちろん意思や意図も言葉にしたりすれば目に見えるものですが、胸に秘めていれば誰からもわかりません。しかしスキルや資格などは目に見えるものなのです。
やり方からあり方
スキルからウィルのように、風の時代になることによって相対的な価値が変わっていくようなものもありますが、同じようなニュアンスでやり方(Doing, How To)とあり方(Being, Why)があります。地の時代に、よりよく生活する仕事をすることにおいて重要なことは、やり方だったのだと思います。人は他人に何ができるのか?どうやるのか?を求めましたし、自分もできることやれることを追求して、スキル・知識・ノウハウ・資格・学歴を手に入れてきました。
これまでもこれからもやり方が不要になることはないと思いますが、それ以上に重要なのはあり方です。なぜやるのか?なぜやりたいのか?というあり方がとても重要になってくるのが風の時代です。
他者視点から自分視点・自分らしさ
他人を気遣った行動は良いのですが、他人の価値観に左右されて行動するのは自分を見失う可能性があります。
地の時代では、親は正しい、先輩は正しい、高学歴の人は正しい、高収入の人は正しい、本に書かれていることは正しい、メディアは正しいと信じ、それらの人がいうことは正しいのでそれらがいう価値観に沿った行動をしていれば大きな間違いは起きないと思ってきました。それらは「世間体を気にする」という言葉で表現できます。
自分がどうしないのかよりも、世間的にはこうした方が良いを優先し続ければ、自分の意思決定や自分そのものを否定することになり窮屈な人生になってしまいます。
風の時代では、情報が豊富にあることで、親が正しいとも限らない、先輩が正しいとも限らない、高学歴の人が正しいとも限らない、高収入の人が正しいとも限らない、本に書かれていることが正しいとも限らない、メディアが正しいとも限らないことがわかり、自分の価値観に気づき自分の意思決定や自分そのものを肯定することが重要だとされていきます。
ゼネラリストからスペシャリスト
ゼネラリストとは、広範囲の分野について知識を持ち、さまざまな分野の担当者たちをまとめる役割が担える人材です。
スペシャリストとは、ある特定の分野において突出した知識や技術、経験を持つ人材です。
地の時代においても風の時代においてもゼネラリストもスペシャリストも必要ですが、昨今の企業は、ジョブ型雇用やジョブ型人事評価と呼ばれる職務ベースで雇用したり評価したりするようになりますので、担当者をまとめるジョブ(職務)、特定の分野において突出した知識を発揮するジョブ(職務)、特定の能力を発揮するジョブ(職務)というように全てがスペシャリストのような雇用形態になる可能性があります。
現に、高齢者雇用や定年退職者の雇用延長などはジョブ型に移行する企業も増えていますが、新型コロナウィルス感染症リスクを契機に働き方が変わったので、年功や労働時間による報酬ではなく、成果を中心とした人事評価と報酬制度に移行する企業も多くなってきています。
つまり、地の時代はゼネラリストが重用されてきましたが、風の時代はこれまでのゼネラリストもスペシャリストとなり、全ての雇用がプロ野球選手のようにスペシャリストとしての雇用になるかもしれません。
お金・物質から経験体験
お金や物品や名誉などは「地位材」と呼ばれ、他人と比較することができるので、得た時には瞬間的には幸福を感じますが、その幸福感は長続きしないと言われています。
一方で、安心や安全、健康などは「非地位材」と呼ばれ、他人と比較することができないので、得た時には豊かな気持ちになり幸福を感じて、その幸福感は長続きすると言われています。
地の時代では、お金や物質的なものに価値があるとされていますので、「地位材」がある人が幸福で立派で偉い人だと思われてきましたし、実際にそう思う人も多かったのだと思いますが、風の時代は、お金ではなく安心や安全で目に見えないものに価値があるとされていますので、「非地位材」がある人が幸福で立派で偉い人だと思われるのかもしれません。
あるいは、そもそも「非地位材」は人と比較できないので、自分は自分、人は人だと思うので何も感じない時代なのかもしれません。
また、お金で買えない体験や経験は多くあります。いくらお金があっても、家族とやんわりとした幸せな旅行ができるとは限りません。
あるいは、ほんの小さな午後のひと時を幸せに感じる経験はお金では買えません。
このように風の時代は、体験や経験に大きな価値があるという世界観になっていくのかもしれません。
固定概念・既成概念から柔軟・革新
地の時代の象徴的な特徴の一つに安定があります。安定とは変化しないこと柔軟でないことでもありますので、固定概念や既成概念は変化や革新を妨げる概念です。これは善悪ではなく、固定概念や既成概念に囚われていると、違った側面や価値観を認めることができないという状況が産まれるとしたらとても危険だということです。
物事に本質的には善悪はなく、あるのは事実と解釈だけだとすれば、自ずと柔軟性と革新性を持って感じることができたり行動することができたりするのではないかと思うわけです。
風の時代はゆるりとふわりと固定せずに・・・というわけです。
なぜ、スイミーは風の時代のコミュニティなのか?
風の時代の価値観に移行するのか? もう既に移行している分野もあるかもしれません。その良し悪しはともかくとして移行していることは間違い無いのかもしれません。
パラダイムが変わる時、価値観が変わる時には、転換前の価値観やシステムで生きているモノやサービスには抵抗があるかもしれませんし違和感もあるかもしれません。
それは当然のことだと思います。
これまで、「北に行くのが正解」と言っていたのに急に方向転換して「南に行くのが正解」と言われたら誰だって戸惑います。
でも、そういうこともあるのです。
そんなものだと受け止めるしかないのです。
スイミーコミュニティは、風の時代になるのかどうかはともかくとして、風の時代の価値観はスイミーコミュニティの世界観と合致しているし、好きか嫌いかといえば好きなので、風の時代の価値観でコミュニティを設計して運用していきたいと思っています。
法人向けに記載した「風の時代に相応しい組織づくり」というホワイトペーパーもご用意していますので、以下からダウンロードしてください。
一応、風の時代の価値観に共感した方にご覧いただきたいので、スイミーコミュニティに参加してもらうことを前提にしています。
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