心理学者のマズローは、人間には5段階に分かれた欲求があるよと言う説を唱えていて、一番下の生理的欲求から、安全欲求、社会的欲求(所属の欲求)、承認欲求、自己実現欲求の5段階です。
最上部には、自己超越欲求というのがあります。
マズローは、自己実現欲求と言っているので、
「人間には自己実現したいという欲求があるよ」
と言っているわけです。
自己実現そのものにはどんな意味あいがあるのかというと、「自分が本来持っている可能性や能力や本領を発揮して、自分がなり得るものになること」だと言えます。
なので、自己実現欲求とは、「自分が本来持っている可能性や能力や本領を発揮して、自分がなり得るものになりたーーい」ということで、
シンプルにいうと、「自分が求める自分でありたい」ってことですね。
これってなかなか意味深で、一般的にマズローの欲求5段階説では、下層の生理的欲求が満たされてから、安全欲求が満たされ、安全欲求が満たされてから社会的欲求が満たされるといわれていますが、必ずしもそうではなく、安全欲求が満たされていなくても承認欲求が満たされることもあるのではないか?という人もいます。
しかし、「自分が求める自分でありたい」って言うと、自分が〇〇を求めているんだから、多少他人には迷惑が掛かるかもだけど、〇〇である自分でありたいんだ〜と言うようなワガママな話がまかり通ってしまってはいけないと言うことですね。
まあ、そんなワガママ放題だと、人間社会的に問題が出てきて、社会的欲求や承認欲求が満たされないので、結果的に自己実現欲求も満たされないよと言うことでもあります。
動画でも言っていますが、自己、つまり自分ってなんだ?
と言う話も奥深くてよくわかりません。
物理的な自分?
精神的な自分?
自分の思考?
自分の価値観?
自分の信念?
自分の志?
自分の魂?
自我という言葉もありますし・・・。
自分、自己、自我と似ているような気はしますが、日本語として異なるのだから意味も異なります。
英語にしたってやっぱり違います。
自我=Identity
自己=Personality
自分=Myself
自我というのは、「自分の視点で自分自身をどう捉えるか?」という話で、
「いったい、私は何者なんだーー!、とか、
「いったい、自分は何をすべきなんだーー!」
みたいに考えることは、自我を探究しているわけです。
自己というのは、「他人の視点で自分自身をどう捉えるか?」という話で、
「自分らしさってなんだ?」みたいに考える時は自己探究している感じです。
自分が気づいていない自分の行動(自我)に対して、他人が「〇〇さんらしいよね!」って
言われて、「そう? 全くそう思えない・・・、むしろ逆な性格だと思う!」なんていう場合は、自我と自己が一致していないということですよね。
「自分とは?」となるとやはり難しくて、自我も含まれるし、自己も含まれるし、肉体だけではなく意識や魂も含まれるでしょうし、過去の子供時代も含まれるでしょうし、まだやってきていない未来を想像してみた老後も含まれるでしょうし、非常に多面的で多様な状態を持ってして「自分」と捉えるのだと思います。
こんなことを書いていると、マズローが言いたかった自己実現ってのは、実は自我実現の方が正しい表現な気もするし、大きな意味では自分実現が一番しっくりくる表現かもしれませんね。
で、人間は、生きているうちに自己実現欲求を満たすことができるのか?
答えは、半分「はい」、半分「いいえ」な気がします。
つまり、最終的に、自分の存在理由が分かってもいいいし、わからないからと言って自分が否定されるわけでもなく、自分の存在理由を探究することそのものが人生において大切なことだと思うからです。
これって、一人で黙々と考えるも良し、
いろいろな仲間と語り合いながら考えるも良し・・・。
スイミーコミュニティのメンバーって、そんな仲間であって欲しい。